注目施策
私の取組み
目 標
富士市の未来のために、
一条よしひろは挑み続けます。
働きやすさ、医療の安心、地域の活力、
そして未来を担う子どもたちの学びと育ち一。
そのすべてをあなたとともに、
確かな未来を、必ず実現します。
■ 生年月日:
1970年05月23日
■ 出身地 :
静岡県 富士市 鷹岡地区・久沢
■ 小学校/中学・高校
富士市立鷹岡小学校
静岡聖光学院中学校・高等学校
■ 職 歴
衆議院議員秘書(故 木部佳昭先生):5年
市議会議員:19年
第46代富士市議会議長
静岡県市議会議長会会長
新病院建設特別委員会委員長
ユニバーサル就労推進議員連盟事務局長
富士市議会有志地域医療研究会事務局
富士市消防団第22分団員
などを歴任
■ 学生時代のアルバイト
警備員として、皇居・吹上御所建設時の特別警備に携わるという貴重な経験を得た
■ 自身の経験の中で印象的だった出来事や課題感
秘書を務めていた頃、先生が「おい!」とひと言発したり、何気ない仕草を見るだけで、何を求められているのかが次第に分かるようになっていったこと。
■ 富士市で好きな場所、風景、人との関わり
入学式で目にする桜の花に、年月の流れの早さを実感するとともに、新たな門出を迎える児童・生徒の初々しさに自らも新鮮な気持ちになる。
■ 「富士市をもっとこうしたい」と感じた具体的な出来事
富士市は、自然や利便性など多くの恵まれた環境を備えている。しかし、若者が進学後に戻らず、流出が続いている現状がある。こうした課題に向き合い、若者をはじめ市民が幸福感や満足感を得られるような市政が求められていると痛感した。
■ これまで富士市で関わってきた地域活動や市民とのつながり
中学から市外の学校へ進学し、28歳で市議に立候補するまで、地域との関わりはほとんどなかった。しかし、地元の消防団(22分団)に入団したことを契機に、地域に暮らす同僚団員や住民の方々と交流を深め、本当の意味で地域の一員としての自覚が芽生えた。
■ どんなきっかけで「市政に関わろう」と思ったのか
1995年の阪神淡路大震災でボランティア活動に携わる中、地域住民と行政の間にある隔たりを強く実感した。例えば、避難所では『公平に』という行政の視点のもと、高齢者や病人にも同じ食事が提供され続ける状況があった。こうした経験を通じて、生まれ育ったこの町で、その隔たりをなくしたいという強い思いが芽生えた。
■ 自分だからこそできると感じたこと
「好奇心旺盛」で「猪突猛進」(後先を考えずに突っ走る!?)な性格ゆえに、理屈よりもまず行動を優先することができる。ただし、それが欠点となることもある。
■ いま一番市民に伝えたいこと
他都市と比べてもあらゆる面で恵まれた環境にありながら、富士市民が抱える閉塞感を、知恵を出し合うことで打破したい。
■ 周囲からどんな性格だと言われるか
「まじめ」だと言われることは確かに正しいが、その一方で、柔軟性に欠けることや遊び心の不足を実感している。
■ 自身の強み、大切にしている価値観
『実るほど頭が下がる稲穂かな』という言葉の通り、誰に対しても謙虚に耳を傾け、寄り添う姿勢を大切にしている。しかし、時には失敗し、反省することも少なくない。
■ 趣味、休日の過ごし方
『四十の手習い!?』で始めた合気道(週1~2回)は、日々の生活にメリハリと潤いを与えてくれる。稽古を終え、ネコと戯れながらビールを飲むひとときこそが、何よりの幸福を感じる瞬間。
■ 家族構成
妻(会社員)、両親、そして保護猫4匹。また、県外に暮らす大学三年生の息子
■ 日々どんな暮らしをしているか
頼られると意気に感じる性格のため、ほぼ365日何らかの形で活動に励んでいる。そんな中、夜や午後に予定が入らない日は、貴重な休息のひとときとなっている。
■ 富士市での暮らしのリアルなエピソードなど
自宅の庭の草取りや手入れを、気分転換を兼ねて楽しんでいる。富士山をはじめ、季節の移ろいの中に生命の鼓動を感じるひととき。
■ 富士市の未来について一言
富士市の未来について、時に厳しい現実を耳にすることもあります。しかし、それでも決して希望を失う必要はありません。まずは、まだ発揮されていない潜在的な力をどのように引き出すかが重要であり、私はその実現が可能だと強く信じています。
■ 市民とのつながりをどう大切にしたいか
政治家にとって、市民に自らのビジョンを伝えることは重要ですが、それ以上に、市民の声に真摯に耳を傾け、寄り添いながら考えをまとめていくことこそが最も大切であると考えます。
私が事務局を務める、富士市議会の有志で構成される『地域医療研究会』は、一昨年の10月の結成以来、脆弱な本市の医療環境を改善するために、さまざまな活動に取り組んでまいりました。具体的には、医師会の先生方との勉強会の開催や、各地への視察、市行政だけでなく県や国への訪問を通じて支援を求めるなど、多岐にわたる取り組みを行ってきました。
私たち議会側には、執行権(自ら実行する権限)がないため、直接「何を成し遂げた」と言うことはできません。しかし、市立中央病院の救急外来の改善や、二次救急医療機関として協力してくださる病院が増えるなどの動きが見られることについて、「声を大にして訴え続けてきたこと」が少なからず影響を与えているのではないかと振り返っています。
とはいえ、まだ抜本的な改善には至っておらず、道のりは長い状況です。現在は中間地点として、『富士市の救急医療を守りぬく条例』の議員提案に向けた検討を重ねています。素案はすでに固まり、今後は市行政、医療機関、市民団体などからのヒアリングを実施しながら、議案として正式に提出する予定です。