1995年 阪神・淡路大震災のボランティアで直面したのは「公平」の名のもとに必要な支援が届かない現実――その理不尽さこそが私の原点です。
28歳で初当選。地元を離れて学んだ私にとって、消防団(第22分団)への入団は「地域の一員」としての出発点でした。汗を流し、支え合いながら、まちと人に向き合う覚悟が育ちました。
以来、四半世紀にわたり、市政と現場の最前線で“制度の壁”や“現場の苦悩”と向き合ってきました。
だからこそ言えます――“ささやかな工夫”と“発想の転換”が、まちの未来を動かす力になる。いま必要なのは、高い視点と揺るがぬ覚悟。私はその先頭に立ちます。
趣味は四十の手習いの合気道と詩吟。4匹の保護猫と暮らしながら、日々命の尊さを実感しています。
モットーは「実るほど頭が下がる稲穂かな」。謙虚に、誠実に、志を貫いて歩み続けます。
■ 富士市で好きな場所、風景、人との関わり
入学式で目にする桜の花に、年月の流れの早さを実感するとともに、新たな門出を迎える児童・生徒の初々しさに自らも新鮮な気持ちになる。
■ 「富士市をもっとこうしたい」と感じた具体的な出来事
富士市は、自然や利便性など多くの恵まれた環境を備えている。しかし、若者が進学後に戻らず、流出が続いている現状がある。こうした課題に向き合い、若者をはじめ市民が幸福感や満足感を得られるような市政が求められていると痛感した。
■ これまで富士市で関わってきた地域活動や市民とのつながり
中学から市外の学校へ進学し、28歳で市議に立候補するまで、地域との関わりはほとんどなかった。しかし、地元の消防団(22分団)に入団したことを契機に、地域に暮らす同僚団員や住民の方々と交流を深め、本当の意味で地域の一員としての自覚が芽生えた。
■ どんなきっかけで「市政に関わろう」と思ったのか
1995年の阪神淡路大震災でボランティア活動に携わる中、地域住民と行政の間にある隔たりを強く実感した。例えば、避難所では『公平に』という行政の視点のもと、高齢者や病人にも同じ食事が提供され続ける状況があった。こうした経験を通じて、生まれ育ったこの町で、その隔たりをなくしたいという強い思いが芽生えた。
■ 自分だからこそできると感じたこと
「好奇心旺盛」で「猪突猛進」(後先を考えずに突っ走る!?)な性格ゆえに、理屈よりもまず行動を優先することができる。ただし、それが欠点となることもある。
■ いま一番市民に伝えたいこと
他都市と比べてもあらゆる面で恵まれた環境にありながら、富士市民が抱える閉塞感を、知恵を出し合うことで打破したい。
■ 周囲からどんな性格だと言われるか
「まじめ」だと言われることは確かに正しいが、その一方で、柔軟性に欠けることや遊び心の不足を実感している。
■ 自身の強み、大切にしている価値観
『実るほど頭が下がる稲穂かな』という言葉の通り、誰に対しても謙虚に耳を傾け、寄り添う姿勢を大切にしている。しかし、時には失敗し、反省することも少なくない。
■ 趣味、休日の過ごし方
『四十の手習い!?』で始めた合気道(週1~2回)は、日々の生活にメリハリと潤いを与えてくれる。稽古を終え、ネコと戯れながらビールを飲むひとときこそが、何よりの幸福を感じる瞬間。
■ 家族構成
妻(会社員)、両親、そして保護猫4匹。また、県外に暮らす大学三年生の息子
■ 日々どんな暮らしをしているか
頼られると意気に感じる性格のため、ほぼ365日何らかの形で活動に励んでいる。そんな中、夜や午後に予定が入らない日は、貴重な休息のひとときとなっている。
■ 富士市での暮らしのリアルなエピソードなど
自宅の庭の草取りや手入れを、気分転換を兼ねて楽しんでいる。富士山をはじめ、季節の移ろいの中に生命の鼓動を感じるひととき。
■ 富士市の未来について一言
富士市の未来について、時に厳しい現実を耳にすることもあります。しかし、それでも決して希望を失う必要はありません。まずは、まだ発揮されていない潜在的な力をどのように引き出すかが重要であり、私はその実現が可能だと強く信じています。
■ 市民とのつながりをどう大切にしたいか
政治家にとって、市民に自らのビジョンを伝えることは重要ですが、それ以上に、市民の声に真摯に耳を傾け、寄り添いながら考えをまとめていくことこそが最も大切であると考えます。
私が事務局を務める、富士市議会の有志で構成される『地域医療研究会』は、一昨年の10月の結成以来、脆弱な本市の医療環境を改善するために、さまざまな活動に取り組んでまいりました。具体的には、医師会の先生方との勉強会の開催や、各地への視察、市行政だけでなく県や国への訪問を通じて支援を求めるなど、多岐にわたる取り組みを行ってきました。
私たち議会側には、執行権(自ら実行する権限)がないため、直接「何を成し遂げた」と言うことはできません。しかし、市立中央病院の救急外来の改善や、二次救急医療機関として協力してくださる病院が増えるなどの動きが見られることについて、「声を大にして訴え続けてきたこと」が少なからず影響を与えているのではないかと振り返っています。
とはいえ、まだ抜本的な改善には至っておらず、道のりは長い状況です。現在は中間地点として、『富士市の救急医療を守りぬく条例』の議員提案に向けた検討を重ねています。素案はすでに固まり、今後は市行政、医療機関、市民団体などからのヒアリングを実施しながら、議案として正式に提出する予定です。